心頭を滅却すれば、うんたらかんたら。

 

 

昼休みに携帯が鳴った。友人、咲子からだ。

内容としてはたわいない愚痴だったのだが、その愚痴の始発点が凄かった。

 

 

「彼氏のキスが気持ち悪い」

 

 

突然何を言い出すのかと思えば咲子さん。

あなた、言うに事欠いて「彼氏のキスが気持ち悪い」ですって!?

それについて何故この貴重なお昼休みの時間に、そして何故わざわざ

この私を相手取って訴えてきたのか、理由があるなら聞かせて貰おうか。

 

「いきなり何だ、どうした」

「最近妙にベタベタしてくるし自己満な感じするしとにかく気持ち悪い」

 

あ、そういう男性の兆候?みたいなの、私聞いたことあるぞ。

 

「それって」

「うんそうだよね絶対浮気してるよねあいつシネバイイノニ」

 

私何も言ってない。

少なくとも、まだ、何も言ってなかったと思う。

咲子は息継ぎもなくシネバイイノニまで言い切ってから、続ける。

 

 

「そんな奴とキスするの気持ち悪い」

「猫撫で声で甘えてくるのとかもう寒気しかしない」

「ウチに来て同じベッドに入られるのとか苦痛」

 

多分もっと過激というか、人格を疑う様な単語も聞こえてきた気がする。

 

でも、咲子は数々の暴言を吐くのと全く同じトーンのままで

「それでも別れたいと思えないからむかつく!」とも言っていた。

あと3秒遅かったら「別れれば良いじゃん」とか言ってた、危なかった。

 

たまーに相槌を打ちながら、ほとんど聞いてただけだったのだけれど

特にそれに怒るわけでもなく一頻り騒ぎ立てた後で咲子は

「やば、休憩終わってる!また掛ける!」と電話を切りやがった。

 

 

……何かあれっすね、女心っつーのはすごく難しいんすね。

 

突然キスが気持ち悪いなんて言うもんだから私はてっきり

何か舌の粘度の問題とか歯列の問題とかそういうもんなのかと思って

どんな返事をすべきか一瞬悩んだんだけど、そんな必要なかった。

 

彼氏のキスが気持ち悪い、やだ!とか私も言ってみてーわ。

こちとら気持ち悪いキスどころかただのキスすらままならねーわ。

 

 

 

あ、でもそういえば。

 

まだ辛うじて10代だった頃、ゲロまみれになるまで酔っ払った後輩に

(10代での飲酒は法律で禁止されています、絶対にやめましょう)

水飲ませてやったり背中さすってやったりして介抱してたら

「あ、先輩俺のこと好きなんだー。じゃあサービスね!」って言われて

思いっきり舌入れられて何回もキスされたっていう思い出ならある。

 

ゲロまみれの奴にキスされるとか、これぞ気持ち悪いキスだわ。

お前、そんなもんサービスのサの字もありゃしねえわ。

人生初のディープなチッスでドッキドッキしててゲロのこととか

全然気にならなかったけど、今考えればとんでもないことしてたわ。

 

それ以降、キスというキスをしていないのもまた事実であって。

私の最新キス事情はゲロまみれのキスということになるようだ。

 

 

「くそぅ、一足遅かったか。咲子め」

「あの方は何もしていないわ、ただ電話をくれただけ」

「いえ、奴はとんでもないものを呼び起こして行きました」

「……?」

「あなたのゲロまみれのキスの記憶です」

 

咲子よ、私の記憶を呼び覚ましてくれてどうもありがとう。